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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)12905号 判決

東京都新宿区中落合二丁目一六番一〇号

原告 池田正之輔

右訴訟代理人弁護士 司波実

同 町田健次

茨城県水戸市大町二―三―三一

被告 河井信太郎

右訴訟代理人弁護士 田村正孝

同 丸島秀夫

同 堀合辰雄

同 石川芳雄

右石川芳雄訴訟復代理人弁護士 松本三樹夫

東京都文京区音羽二丁目一二番二一号

被告 株式会社講談社

右代表者代表取締役 野間省一

〈ほか一名〉

右被告講談社および被告牧野訴訟代理人弁護士 宮崎直二

右被告ら二名訴訟代理人弁護士 芦苅直己

同 久保恭孝

主文

一  原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

(請求の趣旨)

一  原告に対し

(一) 被告河井は、朝日新聞全国版朝刊社会面下段中、適宜の個所に横五・五センチメートル、二段組で別紙目録第一記載の謝罪広告を、被告講談社発行の月刊誌「現代」の八八ないし九六頁の一頁に別紙目録第二記載の謝罪広告を、

(二) 被告講談社及び同牧野は、右雑誌の同個所に別紙目録第三記載の謝罪広告を、それぞれ一回掲載せよ。

二  被告らは各自原告に対し、二、〇〇〇万円及びこれに対する昭和四三年一一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  第二項につき仮執行の宣言。

(請求の趣旨に対する被告らの答弁)

主文同旨。

第二主張

(請求原因)

一  名誉毀損・侮辱行為

(一) 原告は昭和一七年四月衆議院議員に当選し、爾来九回の選挙を経て二三年余の間同議員の職にあり、その間、科学技術庁長官に任命されたこともあり、その後半生を国政に捧げているが、いわゆる日通事件(日通事件とは、大和造林株式会社など日本通運株式会社(以下日通という)の関係会社から、日通に対し、総額約三億円余のリベートがなされ、日通の一部役員がこのリベートを横領した外、多額の政治献金に使ったのであるが、そのうち原告及び大倉精一参議院議員については、これが贈収賄の対象とされたために、右の日通の役員や原告らが東京地方裁判所に公訴を提起された事件をいう。)に連座し、昭和四三年六月二五日受託収賄罪により起訴されているものである。

(二) 被告講談社発行の月刊総合誌「現代」昭和四三年一一月号(同年一〇月一一日発売)には、その八八ないし九六頁にわたり、被告河井執筆名義(「現代」の記者佐藤洋一が同被告の談話を聞いて速記し、速記原本を同被告が加筆訂正したもの)で、「命を賭けた、わが東京地検生活」と題し、「政、財、官界の大事件を一手に手がけた鬼検事の検察メモ」なる副題を付した別紙目録第四記載の記事内容(以下「本件記事係争部分」という)を含む雑誌記事が掲載された。

(三) 本件記事係争部分を通読すれば、最近世間を賑した、昭和四三年四月一九日新橋の料亭「花蝶」で、井本台吉検事総長、福田赴夫自由民主党幹事長(いずれも当時)と原告が会食した(以下「花蝶会食事件」ともいう)のは、原告が日通事件の捜査状況を聞きだそうという意図のもとに行われたとの前提のもとに、花蝶会食事件が世間に知れるや、その事実を漏らしたり、そこでの領収書を公表したのが被告河井であると原告がいいふらして騒ぎ、問題をすりかえようとするような卑怯未練な人物であるとの評価を与え、或いは原告が検察部内の二大派閥について発言した内容をとらえて部外者の憶測にすぎないザレごととして国会議員たる原告に虚言者の恪印を押し、又、原告は派閥の中に生きて、すべてを派閥に結びつけようとする人間であって、検察庁の組織や仕事の基本的なことも知らないのにお座なりの座興を聞いて知ったかぶりをして吹聴するような人物であるとの評価を与え、更に原告が井本検事総長実現の経過について言及した内容をとらえてこれを原告の虚言であると断定して、原告は検察を毒する者、国民を冒涜する者、善良なる市民を欺瞞する者と評価を下す等して、原告の名誉を著しく毀損し、又は原告を侮辱するものといえる。

二  被告らの責任

(一) 被告河井の責任

同被告が原告の名誉を毀損し又は原告を侮辱する意図のもとに本件記事係争部分を執筆したものであることは、原告を「被告」呼ばわりしていることのほか、本件記事係争部分全体に悪意、敵意、侮辱的意図に満ちた文章がみられることより明らかである。仮りに、被告河井に故意が認められないとしても、本件記事係争部分が原告の名誉を毀損し、又は原告を侮辱することは明らかであり、かかる結果の生ずるであろうことは、永年検察官の職にある被告河井にとっては容易に予見しえたに拘らず、これを予見しなかった点に重大な過失があった。

(二) 被告牧野の責任

同被告は雑誌「現代」の編集長であるところ、本件記事係争部分が衆議院議員という公職にある原告の名誉を著しく毀損し又は原告を侮辱することが文章自体に徴し明らかなことを知りながら、あえて本件記事係争部分を右雑誌に掲載した故意があり、仮りに故意がなかったとしても、いやしくもかかる記事を掲載しようとするに当って、執筆の対象である原告の言い分を聞く等して記事の真実性を確認すべき注意義務があるのにこれを怠った重大な過失があった。

(三) 被告講談社の責任

同被告は、雑誌「現代」発行の事業を営んでいるが、その業務執行に付き被告牧野を使用しているものである。

三  損害及び賠償方法

被告らの前記不法行為は共同してなされたものであるところ、それによって被った原告の精神的損害は二、〇〇〇万円に相当するので、被告らは原告に対し連帯して二、〇〇〇万円及びこれに対する本件記事係争部分発表後の昭和四三年一一月一〇日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務及び名誉回復の適当なる処分として被告らは原告に対し、請求の趣旨第一項記載の謝罪広告文を掲載すべき義務がある。

(請求原因に対する答弁)

一(一)  認める。

(二)  認める。但し、本件記事係争部分の小見出しは、いずれも被告講談社において付したものであって、被告河井は関知しない。

(三)  否認する。本件記事係争部分はもとよりその他の部分(以下全体の記事を「本件記事」という)もあわせ読んでも原告の名誉を毀損し、又は原告を侮辱しているとはいえない。

原告は、長い間世間を騒がせ国民の目をそむけさせていたいわゆる日通事件に連座し、三〇〇万円収賄の事実が白日の下にさらされ、昭和四三年六月二五日には収賄罪として東京地方裁判所に起訴されたのであるから、既に原告の社会的評価は地に落ちてなく、従って毀損すべき名誉はないのである。仮に然らずとするも、原告は本件記事発表後の昭和四四年一二月行われた衆議院議員総選挙において山形県第二区(定員四名、候補者七名)から立候補して第二位五万九、二〇一票で当選したのだから原告の名誉は何ら毀損されていない(後段の答弁は被告講談社、同牧野のみ)。

二(一)  否認する。

(二)  否認する。

(三)  被告講談社と同牧野の地位関係を認める。

(抗弁)

一  刑法第二三〇条の二参照

(一) 本件記事係争部分中の各事実はすべて真実であり、或いは少くとも真実であると信ずるについて相当の理由があった。特に被告牧野にとっては、執筆者被告河井が正義感に富み且つ誠実中正な検察官として社会的に令名も高く、しかも本件記事の論述は被告河井の検察官としての経験に立脚して検察の理念、職責のみならず、その執務状況と共に社会に対する要望をも含めた有益な内容であるから、本件記事係争部分の内容につき真実であると信ずるにつき相当の理由があった。

(二) 本件記事係争部分を真実ないし、真実と信ずるにつき相当な理由があったことは原告が前記起訴後、悪意と虚偽に満ちた侮辱的暴言をもって東京地方検察庁検察官に不正不当な攻撃を加え、検察内部には、原告の主張するが如き派閥はなく、従って馬場派とか、河井派なるものは実在しないし、これが戦後における検察権濫用の温床となったこともないし、又将来における禍根を胚胎するものではなく、ましてや検察庁内部の者が花蝶会食事件のことや、その領収書を外部に漏らしたことはなかったにも拘らず、検察庁内には著しい派閥があって人事を左右しているが、原告は馬場系による派閥人事を打破すべく検察庁最高首脳人事に介入して井本検事総長を実現したとの前提の下に、これが快からぬ反井本系の被告河井ないしその一派の東京地方検察庁検察官が派閥人事についての怨恨に端を発したデッチ上げによって原告を起訴し、原告及び井本検事総長の追い落しを狙って捜査上知りえた花蝶会食事件の内容や領収書を暴露した旨を新聞紙、週刊誌等に発言していることから明らかである。大要は左のとおりである。

(1) 裁判所記者クラブその他に配布された昭和四三年七月一日付声明書

「日通事件で検察当局より不当な疑惑を受けたが、それは全く当を得ないものである。」

(2) 同年九月三日付朝日新聞

「検察首脳部の派閥抗争というのは大変なんだ」

(3) 右同日付サンケイ新聞

「新検事総長に井本氏が任命された、馬場総長に近い筋がこれを不満として井本総長の失脚をねらった。たまたま私の名前が日通事件で出てきたため、まず、私をねらいうちし、続いて井本総長の足をひっぱろうと機会をねらっていたのだ。」

(4) 同年同月一六日付荘内日報(原告の選挙区において発行)「心境を語る池田正之輔代議士」の見出しの下に「私は直ちに佐藤総理を官邸に訪ね、その重大性を説明して再考を進言した(中略)この人事のやり直しを命じた結果、最初の馬場構想による人事がくつがえされた。このことが馬場一派すなわち、東京地検の河井次席検事らの強い怨みを買ったことは当然であります。時たま、日通事件が起って捜査中、私の事務所に三百万円の寄附が出たために彼らは得たりとばかりに、これは単なる寄附行為でなくして贈賄であるということに結びつけ、デッチ上げてきたのが今回の事件である。」「最近になって福田幹事長と井本検事総長、私の三人が花蝶で会食したことが、が然問題となった。これはまさしく検察庁内部における河井次席検事一党のあえて陰謀とは言わないが、彼らによってこうした問題がひき起こされたことは明瞭である。これは要するに三人が会食した事実、料亭の名前、場所及び芸者の名前やことに公給領収書のナンバーまで発表されたことは、そうした書類が現在全部東京地検に押収保管されているもので、検察庁以外にみることも知ることもできないものである。この資料は検察庁内部から新聞、雑誌に流されたことは否定できない。」

(5) 同年同月一四日号週刊新潮

「井本君が総長になり、河井君もストップになった。そこで馬場人事は崩れたのだが、ぼくの日通のときの問題は、その恨なんだ。」「そして、今度のこともその一派が、さらに井本追落しをネラったことは間違いないね」「あの時は、まだぼくの問題は出てないじゃないか、それをデッチあげばかりやりやがって(中略)花蝶の領収書は井本君の机の中にあったそうだが、控えが花蝶にはある。あれを検事局へ持っていったんだな。だから今度のことは検事局が漏らしたんだよ。河井という人は馬場が検事にしていたんだが、戦後ずっと彼が扱った事件は政治家についていえば九〇パーセントが無罪じゃないか。(中略)河井は責任を感じないのかね。」

(6) 同年同月二〇日号週刊朝日

「料亭会談の事実がどこから漏れたかということだ(中略)。当の池田代議士は、検察内部の派閥争いにからんでオレと井本検事総長を追落そうとする反井本派が流した情報さという」「結果的に河井の検事正のイスはおじゃんになったもんだから、河井はオレを恨んでいるのさ。こんどのことはみんな河井の仕組んだ芝居なんだよ。」

(7) 同年同月二三日号週刊文春「同じ料亭会談の主人公池田正之輔代議士は、例によってあたるべからざるいきおい、財界紙や赤旗に暴露したのは検察庁内の反井本派であり、オレのことをサカウラミした奴らの陰謀だという。」「馬場派の検事たちはオレを目のカタキにして徹底的に身辺をアラってきた。しかし、アラってもアラってもなにも出てこないもんだから、帳簿にも記載し正式な献金になっている三百万円をこれだ、これだと収賄罪でとりあげて、でっちあげやがったんだ。」

(8) 右同日号週刊サンケイ

「問題はだキミ、こんどのことがどうして、もれたかということだよ。官給領収書の番号まで外にもれている。あれは捜査当局が押えているもので、検察の内部のものがもらさなきゃあわかるはずがない。井本君を検事総長にしたのがオレだということで、まず日通事件でオレをねらい撃ちにし、こんどは井本君を追い落そうと陰謀をたくらんだヤツが地検の内部にいる。」

(9) 同年同月二六日号週刊現代

「そもそも地検内部説をブちまくったのは、ほかならぬ渦中の人池田正之輔代議士だ」「検察が流した理由として池田代議士は、これは池正と井本君のイキの根をとめようとする陰謀という説をとなえている。」「ま、ボクが井本君をあっせんしたようなものだが、河井はオレを恨んでいるのさ、つまり池田人事だというので、今度のことは井本君とオレを失脚させようという馬場派の陰謀だよ。」「ボクが情報を流したって冗談じゃない。だれがそんなデマを流しているのか、どうせ河井だろうよ。東京地検は首脳部以下辞めるべきだよ。ボクはいま名誉毀損で彼らを告発してやろうと研究中なんだ。」

(10) 同年一〇月二日号週刊言論

「日通事件でボクを起訴したのと全く同じで、部内の派閥争いからボクと井本総長を落とそうとする河井一派がやったことだ。」

従って、被告河井は、右原告の発言がいずれも荒唐無稽であるのでそのことを逐一反駁して発表することによって、いわゆる日通事件の捜査を指揮した東京地検次席検事としての公的立場に鑑みて、検察官としての自らのほか特に捜査の第一線で努力している東京地検特捜部検察官の為にもなるし、専ら検察人事や検察権行使が公明正大に行われていることを社会一般に知らせないと、全検察陣の威信に係るものであることを憂えて本件記事を執筆したものである。

二  民法第七一五条第一項但し書による免責……被告講談社

被告講談社は図書雑誌の出版を業とする会社であって、そこの代表者が毎月出版される月刊誌の内容を読むことは不可能であり、それぞれの担当部課に担当させ、月刊誌「現代」は被告牧野が編集長としてその内容と編集について全責任を負うものであるところ、被告講談社は入社試験として学術試験、身元調査、思想調査等を行い、極く少数の者だけを採用し、又、事業の監督については編集総務部をおき、この部には編集について十分なる経験を有し、且つ優秀なる社員を配置して、雑誌出版については、事前にその原稿について出版すべきや否やをあらゆる角度から審査させ、審査合格のものだけを出版させているのであるから、仮りに、被告牧野に不法行為の事実ありとしても、被告講談社においては被告牧野の選任又び事業の監督につき相当の任意をなしたものである。

(抗弁に対する答弁ならびに反論)

一(一)  否認する。

(二)  原告が検察の派閥人事の弊害及びこれを背景とする検察権の不当行使を論難した後、花蝶会食事件公表の取材源が検察庁内部であって、その原因は派閥人事に関連する旨発言したことは認める。被告ら主張の原告発言中(1)ないし(9)は認め(但し、(6)のうち「河井はオレを恨んでいるのさ。こんどのことはみんな河井の仕組んだ芝居なんだよ」の部分中「こんどのこと」とは、原告の日通事件連座以来の一連の検察庁の動きを指して語ったものであり、花蝶会食事件に限定した意味で語ったものではなく、(9)のうち「ボクが井本君をあっせんしたようなものだ」との点は、原告の推せんの結果井本検事総長が実現したという意味のことを語ったのであり、「あっせん」という言葉ではなく「推せん」の言葉を使ったものである。)、(10)を否認する。原告が発言したことは、いずれも真実であり或いは少くとも真実であると信ずるについて相当の理由があったのだから、本件記事中の各事実が真実あるいは真実と信ずるについて相当の理由があったとは言えない。即ち、戦後の検察部内において馬場義続検事総長を頭とする馬場派なる派閥が実在し、被告河井がその有力なメンバーであり、同被告も馬場に次いで東京地検特捜部内の少数特定検事を偏重重用し、河井派ともいうべき小派閥が形成されていることは法曹界・検察部内における公知の事実であり、このことが戦後における検察権濫用の温床となり、又将来における禍根を胚胎するものであることを憂えて、原告は馬場検事総長が退官せんとするに当って、後任総長、法務事務次官、東京地検検事正の人事に介入し、井本検事総長就任が実現したのは真実であり、花蝶会食事件のことや領収書を外部に漏らした根源が検察庁内部にあるとの点については、昭和四三年九月五日付日本共産党機関紙アカハタの記事中、馬場検事総長後任問題が論じられるようになった昭和四二年七月二六日夜、井本台吉は赤坂の料亭「小松」で原告と面談、前後して原告秘書鷲見一雄とI氏(岩淵辰雄を指す―原告の注)宅訪問なる事実が掲載されているが、右各事実はいずれも真実であり、岩淵、鷲見が右のような機微の事実を漏らす筈はないところ、日通事件捜査の過程で検察庁に押収された鷲見の手帳に右事実に関するメモが記入され、鷲見は右事実をめぐり東京地検水原敏博検事の取調を受け、右事実に限局した内容の供述調書が作成された事実があり、且つ花蝶会食事件の花蝶の領収書が東京地検に押収されている事実から確信を有したのである。

また、花蝶会食事件が起きた時期は原告の刑事事件は問題になっていない時期であり、しかもそれは井本検事総長就任の返礼としての招宴であって日通事件には関係ないのだから、花蝶会食事件が世間に知られるや、それを漏らしたり領収書を公表したのが被告河井であると騒いだこともなく、又、原告は戦前塩野元法相の秘書として当時の司法、検察の首脳人事の機微についても知っており、戦後も立法府の国政調査権に基き行政運営を監視し、行政府の予算審議をする職責から検察庁の組織や仕事の基本的なことは知っており、又、昭和三〇年三月から同三三年三月まで内閣所属の検察官適格審査委員会委員の職にあり、特に最後の一年間は同委員会会長としての重責を荷っていたのであるから、原告が検察庁の組織や仕事の基本的なことを全く知らないでお座なりの座興を聞いて全く知ったかぶりして吹聴している事実はないのだから、本件記事中には虚偽の事実が存するといわねばならない。

二  否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

第一本件記事が掲載されるに至った背景

一  請求原因一(二)の事実は当事者間に争いないところ、原・被告ら間に本件記事係争部分が原告に対する名誉毀損あるいは侮辱として名誉権侵害による不法行為に該当するかどうかが争われているので、この点について判断する(名誉毀損とは事実の摘示をともなってなされた名誉権侵害であり、侮辱とは事実の摘示をともなわないそれであるとの概念上の区別をすることが相当である。そして右判断を正確ならしめるためには、本件記事がいかなる背景のもとに世間に公表されるに至ったのかを確定しておく必要があるので、先ずこの点から検討する)。

二  原告および被告河井の社会的地位

(一)  原告の地位

当事者間に争いない事実と≪証拠省略≫により認めうる事実とによれば次のとおりである。

原告は明治三一年一月二八日に生れ、大正一四年日本大学法文学部政治学科を卒業、以後新聞記者を経て昭和一七年第二一回衆議院議員総選挙に立候補して当選、同二四年施行の衆議院議員総選挙にも立候補して当選以来本件記事掲載当時までに当選九回をかぞえ、その間第二次池田勇人内閣の際は国務大臣として入閣し、科学技術庁長官、原子力委員長をつとめたばかりでなく、自由民主党にあっては日中貿易特別委員長、外交調査会副会長、同中国小委員長等を歴任、その他昭和二七年一〇月には共産党を含む超党派の国会議員で結成された日中貿易促進議員連盟の代表理事に就任、同二八年九月には右連盟他一団体からなる中国通商視察団団長として訪中、その後も日中貿易促進のため尽力してきたが、同三三年五月日中貿易協定が破棄されるに及んだので、以降は役人あるいは民間人を招いて共産圏諸国特に中国に関する情報をもちよって検討・分析する私的な研究会をもち続けてきた。同四二年七月上旬には、共産圏諸国の動向・同諸国の日本に対する働きかけ、外交に関する国内政治の動き等の情報の収集・分析を行い、その結果を政府に提供したり刊行物にて世論の啓豪をはかる等の目的のもとに、内外事情研究所を設立(事務所所在地は、≪証拠省略≫によれば、東京都港区芝明舟町二五番地秋山ビル内原告事務所所在地と同一場所であることが認められる)する等したほか、国会議員として多彩な政治活動に従事してきた。

(二)  被告河井の地位

≪証拠省略≫によれば、被告河井は昭和一四年三月中央大学法学部を卒業後同年四月司法官試補を拝命、同一九年五月検事任官以来検事としての道を歩みつづけ、同三六年七月東京地方検察庁特捜部部長、同四〇年九月同庁次席検事、同四三年九月最高検察庁検事(本件記事執筆当時も同様)の地位を歴任し、現在水戸地方検察庁検事正の職にあることを認めることができる。

三  刑事事件の発生と原告の当初の態度

当事者間に争いない事実と、≪証拠省略≫により認めうる事実とによれば次のとおりである。

(一)  原告は昭和四二年一一月三〇日日通代表取締役福島敏行(当時)から前記原告事務所において、久保俊広を介して現金三〇〇万円の提供を受けた。

東京地方検察庁は、捜査の結果、右金員の授受につき、「昭和四二年来日通の政府食糧輸送に関連して疑惑があるとの観点から国会で質疑が行われていたが、衆議院予算委員会で猪俣浩三社会党議員が右同様の観点から質問を行うとの情報を日通が得るや、日通の前記福島ら役員は原告に対し日通を擁護すると共に日通に有利な活動を請託して、その報酬として供与されたものであって、原告もその情を知っていたものである」として、同四三年六月二五日原告を受託収賄罪(刑法第一九七条第一項)で東京地方裁判所に起訴した。

他方原告は、前記金員は日通から内外事情研究所に対する寄付金あるいは祝金にほかならず適法なものであって賄賂ではない、と主張していたので、前記金員の法的性格をめぐって東京地検と真向から対立する様相をはらんでいた(請求原因一(一)の日通事件の概略については当事者間に争いがない)。

(二)  はたせるかな、原告は同年七月一日声明書を発表し、要旨「日通事件に関連し検察当局より不当な疑惑を受けたが、これは当を得ないものであることをやがて立証してゆく。ただ残念なことは、本事件により原告が数十年来努力してきた検察権力を中心とする司法界の漸進的改革が困難になってきたことである。しかし検察権力内部に巣くう宿弊があれば、それを明らかにして改革のため尽力したい」と述べ、同時に要旨次の二項からなる公開質問状を発表した。

① 検察首脳部の一員である弁護士と結託し、自ら取調べ中の被疑者に対し、それまでの弁護士を断わり、同弁護士に新たに弁護を依頼するよう斡旋した事実を、法務大臣、検事総長は調査したことがあるか、もしなければその理由を明らかにされたい。② 昭和四二年一〇月三一日付帝都日々新聞は、法務省矯正協会の脱税事件について掲載しているが、法務および検察当局は右事実の有無につき調査して社会にその真相を知らしめよ。」

四  花蝶会食事件の暴露記事と原告の非難

(一)  ≪証拠省略≫によれば、昭和四三年四月一九日夜都内新橋の料亭「花蝶」で、原告は井本台吉検事総長および福田赴夫自由民主党幹事長(いずれも当時)と会食したことを認めることができる。

(二)  ≪証拠省略≫によれば次の事実を認めることができる。

1 昭和四三年八月二九日発売された雑誌「財界展望九月号」は「検事総長と与党幹事長の料亭会談――日通事件のさい中に「イケショウ」を交えて」と見出しをつけた記事を掲載し、原告、井本、福田の三名が花蝶で会食した前記事実を、部屋が梅の間で、同席した芸者が五人でコリン、コハギ、コエン、ソメヤ、イチコト、会計が四〇、九一〇円、領収書の番号が「AI8816549」であると特定して報道、原告が在宅のまま起訴されるに至ったいきさつを新聞報道を根拠資料にして解説、原告の前記七月一日の声明書、公開質問状の一部も引用して花蝶での会食と日通事件との関連に疑問を呈し、政治と検察との関係に疑惑がないか、との推測記事を掲載した。そして、同年八月三〇日付赤旗(共産党機関紙)も、花蝶会食事件につき、右財界展望とほぼ同趣旨の内容の記事を掲載するに至った。

2 右報道が契機となってか、同年九月三日付の朝日、サンケイ、読売等の各新聞も花蝶会食事件を大々的に報道し、日通事件の捜査中に右会食がもたれていた事実を重視し、「検察の政治的中立」の観点からも問題がある、という趣旨の記事を掲載した。

3 さらに各種の週刊誌もこぞって花蝶会食事件をとりあげるに至り、同年九月一四日号週刊新潮、同月二〇日号週刊朝日、同月二三日号週刊文春、同日号週刊サンケイ、同月二六日号週刊現代等には、右会食での話題の内容に疑惑の目を向けた報道がなされた。

4 右2および3の各報道に先立つ取材の段階で、原告は、花蝶会食事件につき、自己の立場を釈明するとともに、捜査に当たった検察当局を批判し非難した。その要旨は次のとおりであり、右各報道に際しては、この点も大なり小なり同時に掲載された。すなわち、

(1) 前記花蝶での会食は、井本検事総長実現直後の昭和四二年一一月二〇日原告が花蝶に同総長および福田幹事長を招待してなした就任祝に対する返礼であって、日通事件のもみ消しとは何の関係もない。このことは原告が捜査の対象になったのが五月になってからであることからも明らかである。

(2) 花蝶会食事件を最初に報道した前記財界展望等には、同席した芸者の名前、領収書の番号まで掲載されているが、これらは東京地検が押収保管中の証拠資料からしか判明しないことを考えれば、同地検内部から花蝶会食の事実とともに漏れたのに相違ない。この背景には検察庁内部の馬場派対岸本派の派閥争いがある。その弊害のひとつが馬場義続検事総長後任問題であった。

(3) 昨年(昭和四二年)馬場検事総長(当時)はその後任に馬場派の竹内寿平法務事務次官(当時)をおし、右に関連して被告河井を東京地検検事正とする人事が決定しそうになったが、これが事前にわかるや、検事長、検事正クラスからも序列無視であるとの反発が生じ、一斉に辞表を提出しそうな事態にまで発展した。これを憂えた原告が福田幹事長、佐藤総理に右総長人事が穏当を欠くものであると進言した結果、それがくつがえり、井本台吉検事総長が実現し、被告河井の東京地検検事正就任もストップした。

(4) 馬場派の中の被告河井一派は右結果を不満とし、井本総長の失脚をねらっていた。彼らはたまたま日通事件の捜査中、原告が日通から適法な政治献金三〇〇万円を受領した事実をつきとめるや、これを原告の収賄であると私怨によるデッチ上げの起訴を行い、さらにその後前記花蝶会食の事実を知るやそれをひそかに報道関係者に漏らして、右会食が日通事件のもみ消しと関係があるかのような策謀をはかり、原告のみならず井本総長の追いおとしをねらったものである。

五  本件記事執筆の動機

≪証拠省略≫によれば次の事実を認めることができる。

(一)  原告の前記批判ないし非難は前記新聞、週刊誌の記事などにより被告河井も知るに至ったところ、花蝶会食事件の漏洩が東京地検であるとか、その背景にあるのが検察庁内の派閥にあるとか、井本検事総長実現問題、原告に対する刑事事件の起訴が私怨に基くものであるなどと言って、原告が検察当局に対する非難・攻撃を繰り返していることは、原告が国会議員という要職にあるものであることを考えれば、そのまま放置することにより検察権の行使につき世人に誤解を生じさせかねないことを憂慮した。そこで、東京地検次席検事の職にあった者の務めとして、原告の前記批判ないし非難が真実に反するものであることを論じ、これに反駁を加えなければならないと考えるに至った。

(二)  そのころ、被告河井は最高検察庁に異動することが伝えられたので、被告講談社では同社発行の月刊総合誌「現代」に被告河井の東京地検時代の体験を執筆してもらう方針を決め交渉したところ、同被告はこの機会に原告に反駁する論文を掲載させてもらいたいと考え、被告講談社了解のもとに、本件記事が被告河井により執筆され、「現代一一月号」に掲載されるに至った(論文の形をとるに至った具体的経緯は、「現代」の記者佐藤洋一が被告河井の談話を聞いて速記し、速記原本に原告が加筆訂正して最終稿が出来上ったものであることは当事者間に争いがない)。

第二本件記事係争部分は名誉権を侵害するか

一  言論の応酬と名誉権侵害の成否

ある者が、ある積極的事実を摘示して批判し、これに対しある者が摘示されたような事実はない旨反論してさらに論評を加えることは、言論による応酬の場合には往々にしてみられる形態である。その場合双方の交わす批判、反論、再批判、再反論の応酬は表現の自由の問題として最大限に尊重されなければならない。もとより表現の自由の名において人格権の無視や侵害が行われるときは、これを容認することはできないのであって、ある事実を摘示して名誉を毀損した場合それが積極的事実であれ消極的事実であれ、右事実の存否についての真実性が証明されない限り(その主張、立証責任は事実摘示者が負担する)、その者は名誉毀損にもとづく不法行為責任を負わなければならないし、事実を摘示することなくしてなされた軽蔑の表示、名誉感情を害するに足りる事項の表示についても、侮辱にもとづく不法行為責任を生ずる。しかし、まず相手方の批判ないし非難が先行し、その中に自分自身の名誉や近しい第三者または自己の属する機関の正当な利益を侵害する事実の摘示が存し、これに対し、その名誉ないし正当な利益を擁護するために必要な範囲を逸脱しない限度でなされた反論は、それだけを切り離して考えると相手方の名誉権を侵害する言動を含んでいても、相手方の摘示した事実が真実であり、あるいは相手方において真実と信ずるにつき相当の理由がある場合を除いて、名誉毀損または侮辱による不法行為とならないと解するのを相当とする。そして、また、当該反論が自己の名誉やその他の利益を擁護するために必要な範囲をこえているか否かは、その方法・内容につき、これに先行する相手方の言動と対比して考慮すべきものといわなければならない。

つぎに、これらの判断をなすに当たっての主張・立証責任の分配であるが、相手方の侵害行為の存在とこれに対する反論が自己の名誉やその他の利益を擁護するために必要な範囲でなされたことは当該反論を行った側において主張・立証すべきであると同時に、先行した相手方の摘示事実の存否についての真実性の主張・立証責任は相手方に負担させるのが衡平の理念に合致するというべきである。若しそうではなしに言論による応酬の個々の言動を前後との関連なしに切り離し、名誉権侵害にあたるかどうか評価すべきものとすれば表現の自由を閉塞させるだけでなく、その不当な行使から正当な利益を擁護することすらできなくなるであろう。

二  本件記事(とくにその係争部分)それ自体の考察

以上の基準に立脚して、本件記事係争部分が原告の名誉権を侵害するものであるかどうかにつき以下検討を加えるわけであるが、右係争部分がそれ自体において原告の名誉権を侵害するに至らないものであるならば、前後との関連その他にまで立ち入る必要はないのであるから、まず、本件記事係争部分それ自体の考察から始めることとする。そして、そのためには、右部分が本件記事全体の中で占める意味合いを把握したうえ、これが一般読者の普通の注意と読み方を基準にしてどのように印象づけられるかを考えてみる必要がある。

そこで本件記事全体の内容、構成につき検討すると、≪証拠省略≫によれば、本件記事係争部分は、頁数にして約二頁分位で、全体(約九頁)の中では冒頭の約四分の一を占め、その余の本件記事係争部分以外は、被告河井が東京地検において戦後十数年間数々の疑獄事件を担当してきた体験から疑獄事件の特徴、捜査の困難性、捜査検事のとるべき基本姿勢等々について縷々記されていることが認められ、本件記事係争部分を通読すれば、大略次のように要約できる。

(一)  原告は、花蝶会食事件や領収書を漏らしたのは被告河井であると何の根拠もなくいいふらして騒いでいるが、それは自己の責任を他にすりかえようとする卑怯未練なやり方である。花蝶会食事件のころは、原告は提供をうけた三〇〇万円が捜査当局に知れているかどうかハラハラしていた時期だから、そんなときに検事総長と会えば、何とかして捜査状況を聞きだそうという意図があったと思われても仕方なかろう。

(二)  原告は検察部内に派閥があって、故小原直法相――馬場前検事総長のラインに被告河井がつながり故塩野季彦法相――岸本義広元東京高検検事長のラインに井本検事総長がつながっているといっているが、全く事実に反し、そういう派閥なるものは戦後の検察にはない。原告の言は部外者のザレ言である。

(三)  原告は検事総長を推薦したとか、検事正の人事を左右したとか公言しているが、こんな事実無根の馬鹿げたことをいうとは、検察を毒し、国民を冒涜し、善良な市民を偽瞞しようとするものである。

右事実により明らかなように右部分にはいずれも、事実摘示部分とそれを前提にした上での評価部分が含まれているのであるが、その事実摘示部分は前記第一、二(1)で説示した原告に対する社会的評価を低下させる行為であり評価部分は原告に対する軽蔑の表示、名誉感情を害するに足る事項の表示にあたる行為である。従って、本件記事執筆に至る事情や主観的意図を度外視して、右事実摘示部分や評価部分だけを単に外形的にみるときは、これらは原告の名誉権を侵害するものといわざるをえない。

ところで被告河井が本件記事を執筆し、これが掲載された経過は前記第一(とくに五)記載のとおりであって、前記第一、四(二)4記載の原告の非難・攻撃、殊に花蝶会食事件の漏洩が東京地検であるとか、その背景にあるのが検察庁内の派閥にあるとか、井本検事総長人事問題、原告に対する刑事事件の起訴が被告河井一派の私怨にもとづくなどの言論は、明らかに検察官の地位にある被告河井個人の名誉を侵害する行為であると同時に、国家機関である検察庁の検察権行使に対しこれを不当だとして論難するものであり、被告河井は前記第一、五記載のとおり、これに対する自己の名誉と検察権の擁護を動機として本件記事を執筆し、被告講談社はこれを同社発行の月刊総合誌「現代」に掲載したものであることが明らかである。

従って本件記事係争部分が原告に対する名誉権侵害の不法行為といえるかどうかは、右部分が前記被告河井自身の名誉やその他の利益を擁護するために必要な限度を逸脱するかどうかと、必要な範囲と認められる場合にこれに先行する原告の前記事実摘示について真実性の証明がなされるかどうかとにかかっている。

第三名誉毀損にもとづく不法行為の成否(本件記事係争部分執筆掲載の必要性とこれに先行する原告の事実摘示の真実性の証明等)

一  検察庁内の派閥の有無について

(一)  先に説示したことからも明らかなように、原告は、検察庁内には派閥があるとして、その弊害およびこれを背景として被告河井らの検察権の行使を論難し、これに対し、被告河井が本件記事をもってなした反駁は、検察部内には派閥はない、まして派閥などによって自分の職務を左右されるような検察官は一人もいないと確信しているということである。もっとも本件記事係争部分には原告の派閥に関する発言をもって「これこそ部外者の憶測にすぎないザレごとで事実を知らないのもはなはだしい」、「池田被告のように派閥のなかに生きてきた人間は、すべてが派閥に見え、すべてを派閥に結びつけないと承知できないのかもしれない」との記載がある。前者は、最高検察庁検事の職にある者が衆議院議員の地位にある者に対してなす反論としては、その語調においていささか激しすぎるところもないわけではないが、原告の事実摘示に対する反駁という点では前記の必要範囲をこえたことにはならない(侮辱による不法行為成否の問題としては後に判断する)。後者は、≪証拠省略≫によれば、本件記事中で被告河井は、「私は派閥とは、その系統や組織のうえに乗ることによって、すなわち派閥に属することによって仕事をしないで権力のうえにあぐらをかき、善良な市民の負担と犠牲のもとに惰眠をむさぼり、自己保身と栄進をこととする権力者をいうと考えている。」という記載があることからすると、一見、原告の事実摘示に対する反駁の範囲をこえて原告が右のような意味での派閥に属していると述べているようにとれないではないが、いわゆる政界に派閥―政策や政治上の利益に結び付いた人のつながり―が存することは、公知の事実であり、本件記事を詳細に検討し、総合的に考察すれば、被告河井は、原告自身がこのような派閥に属したか否かにかかわりなく政治家である原告が派閥の離合集散が行われるなかで政治活動をしてきたことを指摘しながら、検察部内には派閥はなくまた派閥によって職務が左右されることもないことを強調する意図で執筆されたものと認められ、右記載をもって被告河井の名誉やその他の利益を擁護するに必要な範囲を逸脱するものということはできない。

(二)  そこで原告主張の派閥の存在およびこれを背景とする検察権の不当行使の真実性について検討する。

証人鷲見、同岩渕および原告本人は、原告のなした批判ないし非難に沿った事実の存在を供述し、≪証拠省略≫にも、右事実を推測させる記載部分がないわけではない。そして、成立に争いのない甲第5号証の1・2(昭和三八年八、九月号「文芸春秋」に掲載された松本清張執筆名義の「検察官僚論」「検察官僚は苦脳する」と題する二編の論文)中には、戦前の検察には塩野閥(思想検事グループで主流派)と小原閥(反主流派)の二派閥があって、戦後にもその潮流はひきつがれ、岸本義広、井本台吉らが前者に、馬場義続、被告河井らが後者に連っているとの記載があり、また成立に争いのない甲第18号証の1ないし22(三田和夫執筆による「検察派閥論」で同人責任編集の正論新聞に昭和四五年一一月二五日から翌四六年九月二五日までの間、二二回(未完)にわたって連載されたもの)ならびに≪証拠省略≫を総合すれば、証人三田は法廷の内外において、前記甲第5号証の1・2とは別の観点から「検察庁内には馬場派、岸本派の派閥が存し、それは昭和四五年一〇月二五日岡原昌男大阪高検検事長が検事を退官して最高裁判事に任官した時に一応のピリオドが打たれるに至ったが、それまでの検察部内の派閥は政党との癒着を生み、大きな弊害を生んでいた。右派閥の弊害の立証として、同四五年一二月五日当時の検事総長竹内寿平、最高裁判事岡原昌男、東京高検検事長大沢一郎、大阪高検検事長天野武一ら当時あるいはかつての検察首脳の任官以来の経歴を検討したり、立松記者事件(同三二年一〇月一八日読売新聞朝刊社会面トップで大きく報道された「宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士売春汚職で収賄の容疑濃くなる」との内容が誤報であると判明し、取材記者立松和博が名誉毀損罪容疑で逮捕された事件)は宇都宮、福田両代議士の落選をねらった政治的謀略であり、被告河井が立松記者取材記事のニュースソースであり、花蝶会食事件の漏洩問題も、立松記者事件のケースと酷似するのであるが、その底流にあるのは検察派閥である」と詳細に陳述している。

しかし、反面において≪証拠省略≫のごとく、戦後における検察庁内には派閥など存していないとの反証もある。のみならず≪証拠省略≫の検察派閥の弊害についての記載部分は伝聞であるから採用しないし、さらに前記甲第5号証の1・2についていえば、検察派閥の存在については当然の前提にして、そこから検察首脳部の人事や政財界との関係を一般読者向きに解説・論評してはいるけれども、取材の根拠やその確実度が明らかでないので、この種読物の性格上反対尋問を経ないままこれを文字どおり採用することは不可能である。また≪証拠省略≫によれば、被告河井はタバコをのまず、また所謂昭電疑獄事件において被告河井は西尾末広の取調には関与せず、また芦田均の逮捕は国会に対し許諾請求をしたのであって被告河井がその逮捕状を所持していなかったことが認められるのにかかわらず、三田の作成あるいは供述である前掲証拠中には、被告河井の立松記者に対するニュースソース提供の方法は、立松記者と雑談しながら「あれ、タバコは……」とつぶやきながらひきだしを探したり、ロッカーの方をふり向く、その間に机上の書類を見ろ、という謎をかける。そこからはみ出た紙に逮捕状があり、それを立松記者は見る、ということであるとか、芦田、西尾の逮捕を立松記者が取材できたのも被告河井にその逮捕状を見せられていたからであるとか重要な部分に虚偽と思われる個所があること、さらに、成立に争いない乙第15号証(三田責任編集になる正論新聞昭和四六年一一月一五日号)には、本件民事訴訟の証拠調の結果の報道記事中「同年一〇月二五日の証拠調のさい証人田中万一(元最高検刑事部長)は検察に派閥があった旨を、同水原敏博(東京地検特捜部検事)は花蝶会食事件は東京地検から漏れた旨を各供述した」とあるが、これは右各証人の当法廷における証言と著しく異っていること等を考慮すれば、三田の作成あるいは供述になる前掲証拠は容易に措信することはできない。

もっともその実態あるいは概念については必らずしも一致した認識があるわけではないにしても、戦後も検察内部に戦前の塩野派、小原派が岸本派、馬場派にひきつがれて残存してきたと法曹界内部で広くささやかれてきたこともほぼ公知の事実である。そうだとすれば、原告が検察派閥について公言していたことが必らずしも荒唐無稽であるとばかりも言えない。しかし、右以上に被告河井が馬場派につながっているとか、井本台吉が岸本派につながっているということまで公知の事実ということはできないし、その点の立証が原告側において成功しているともいいえないし、まして原告が非難したように被告河井らが派閥争いから井本検事総長の失脚をねらって私怨による不当な検察権の行使をなしたものとは到底認めない。そしてまた原告がその主張のような認識を抱いていたのも相当の理由があったと認めることもできない。

(三)  従って検察庁内の派閥に関する本件記事係争部分の執筆掲載は、被告河井の名誉と検察権を擁護するために必要な限度を逸脱することなくなされたものであり、これに先行する原告の事実摘示は真実性の証明がなかったことに帰するから、検察派閥に関する被告河井の反論は、名誉毀損にもとづく不法行為とはなりえない。

二  井本検事総長実現の経緯について

(一)  原告は前記第一、四(二)4(3)に説示したとおり、馬場義続検事総長の後任問題をめぐる検察部内の反発を憂え、福田幹事長、佐藤総理に進言した結果井本検事総長が実現したと発言し、これに対し被告河井は本件記事において、部外者が検察の人事に容啄する事実はないと反駁している。もっともこの点でも本件記事係争部分には、原告の発言をもって「お座なりの座興を聞いて知ったかぶりして吹聴している」、「われわれ事情を知るものは馬鹿げたこととして一笑にふす」、「検察を毒し、国民を冒涜し善良な市民を偽瞞することはなはだしい」などの記載がある。これらも、穏当を失する表現とみられないではないが(侮辱による不法行為成立の問題は後に判断する)、本件記事を全体的に考察すれば、被告河井の検察の純粋性を強調し、部外者の検察人事への介入を強く否定する意図から出たものと認められ、これらの記載をもって被告河井の名誉やその他利益を擁護するに必要な範囲を逸脱するものといえない。

(二)  そこで原告の井本検事総長実現に関する発言の真実性について検討する。

≪証拠省略≫と、後記認定の昭和四三年四月一九日の花蝶における原告、井本、福田三者の会食は井本検事総長実現の就任祝いに対する同総長の返礼の催しであったこと等をあわせ考えれば、同四二年七月ごろ馬場検事総長の後任に竹内寿平法務事務次官の名が検察庁内部で噂されていたこと、それには検察庁内部に疑問を抱くものもあったこと、そのことを察知し、自ら司法通と自認する原告は福田自民党幹事長に会って、右人事は穏当ならざることを述べ、更に同幹事長の示唆もあって佐藤総理にも会見して同様のことを述べ、後任には井本台吉東京高検検事長が妥当である旨進言したこと、結果的には馬場総長の後任に井本台吉が就任したことを認めることができる。右の事実からすれば、その影響力は別として、原告が検事総長人事に右認定した程度の関与をしたことは否定できないし、検察官の任命補職は法務大臣の権限であって、戦後歴代の法務大臣が国会議員から選ばれていることは公知の事実であるから、内閣を組織する与党の国会議員が、行政権の範囲内である検察官の人事問題について、党の幹事長(ないしはこれを介して総理大臣)に情報を提供したり意見を述べることがあっても、あながち不自然とはいえない(その意味で後記赤間文三法相の答弁中「国会議員等がこれに介入する余地ない」旨の部分は、必ずしも右の程度の関与すら否定するものとはいえないだろう)。しかし検察権が適正に行使されるためには、個々の事件処理だけでなく、検察官の人事についても検察の独立性と公正さが保持されなければならない。その故にこそ、≪証拠省略≫により認められるところの、同四三年一〇月一四、一五両日の衆院法務委員会における赤間文三法相(当時)の答弁のように、「検察首脳人事は法務大臣が法務事務当局および検事部内の意見を徴してこれを十分に尊重しつつ大臣の責任において行っている」のであって、また≪証拠省略≫で馬場、井本両人が週刊誌記者に対して「馬場総長自身が井本を後任に推薦した」と述べている事実が推認されるのである。

ところで、原告が前記第一、四(二)4(3)で主張している事実は、竹内寿平法務事務次官の検事総長就任予定に関連し、被告河井が東京地検検事正に就任する予定であったこと、これに反発し検事長、検事正クラスから辞表提出の動きが強まったこと、井本検事総長の実現は原告の進言した結果によることに重点があるのであって、かかる事実は前記認定事実をもってしてはこれを認めることができない。そして、≪証拠判断省略≫、井本検事総長実現につき原告がその主張のように自ら信ずるについては相当の理由があったということもできない。

(三)  従って井本検事総長の実現の経緯に関する本件記事係争部分の執筆、掲載は、被告河井の名誉と検察権を擁護するために必要な限度を逸脱することなくなされたものであり、これに先行する原告の事実摘示は真実性の証明がなかったことに帰するから、この点でも原告主張の名誉毀損にもとづく不法行為は成立しない。

三  花蝶会食事件等の漏洩について

(一)  原告は、被告河井らは、その意図した派閥人事の実現が原告によって阻止されたことから、原告および井本検事総長の追いおとしをねらい、原告をいわゆる日通事件で私怨によるデッチ上げの起訴を行い、さらに花蝶会食事件やそこでの領収書をひそかに報道関係に漏洩した旨発言し、これに対し、被告河井は、本件記事において、花蝶会食事件を中心にそのような事実は絶対にない旨強く否定し、領収書の漏洩を原告のように信ずるなら、その経緯と人の名前を明らかにすべきであるし、またいま領収書など公表しなくともいずれ公判廷に証拠として提出されるもので原告の方が自分の都合のいいようにすりかえて世間の目をごまかそうとしているとしか思えないと反駁したのである。ここでも「許しがたいデッチあげ」「卑怯未練なやり方」などやや激越な表現もみられるが(侮辱による不法行為成否の問題は後に判断するとして)被告河井の前記反駁は自己の名誉やその他の正当な利益を擁護するために必要な限度をこえていない。

(二)  そこで原告の花蝶会食事件漏洩のソースに関する発言の真実性について検討する。

1 ≪証拠省略≫によれば次の事実を認めることができる。

昭和四〇年一〇月ごろ以来原告の私設秘書をしていた鷲見一雄は、原告が刑事事件で起訴された後水原敏博検事より同四三年七月四日から一一、一二日ごろまで参考人として取調べを受けた。そのとき同年六月二四日押収されていた鷲見の昭和四二年版衆議院手帳に馬場、井本、竹内等の検察上層部の名前がでてくるので、水原検事が問い質すと、鷲見は井本検事総長実現の経緯について自己が認識していた事実(原告主張の内容とほぼ同様)を供述した。さらに水原検事は同四三年版衆議院手帳の任意提出を求めて、その記載に基いて調べを続けたところ、花蝶会食事件が判明した。そこで東京地検は花蝶会食の際の座敷の名・同席した芸者の名等が記載されている計算台帳や公給領収証控等を、昭和四三年七月六日押収した。

2 ところが、同年八月下旬になって、花蝶会食の事実が、会計、公給領収証番号、同席した芸者の名、部屋名とともに報道されるに至ったことは先に認定(第一の四の(二))したとおりである。

3 ≪証拠省略≫によれば、原告は、検察部内における派閥の一つである馬場派に被告河井(ないしはその一派)が属していること、馬場総長後任問題は馬場派の竹内寿平ではなく岸本派の井本台吉就任で納まりがついたがそれには原告の果たした役割が大であったこと、これを恨みに思った被告河井一派はたまたま捜査中のいわゆる日通事件において原告の名前が出たことからその身辺を洗いだしたこと、右事件において原告が日通から受け取った三〇〇万円は適法なる寄付金であるはずであるのに検察側は事実を曲げて収賄だとして起訴したこと、等の確信をもって検察当局に強い不満を有していたので、それと前記1・2で認定した事実関係にもとづき、花蝶会食事件の報道は原告や井本検事総長の追いおとしをねらった反井本派すなわち被告河井らの政治的策謀だと推測し、その旨公言してきたことを認めることができる。

そして≪証拠省略≫中にも、右漏洩のソースが東京地検内部にあるとの推測が原告とは若干異った思考方法をとってなされている部分がある。

4 なるほど右1・2認定の事実に徴しても、原告の東京地検内部から花蝶会食事件が洩らされたとの推測にも一理ないわけではない。しかし、≪証拠省略≫は先に説示したように必らずしも措信できないこと、また原告の前記確信について言及すれば、検察部内の派閥、馬場総長後任問題についての当裁判所の判断とかなり相違しているし、≪証拠省略≫によって認めうる前記三〇〇万円収賄容疑で原告を被告人とする刑事第一審判決(控訴中)内容を仔細に検討すれば、原告の刑事事件における起訴が、派閥人事にからむ被告河井らの私怨による起訴などとは到底いいえないのである。だとすれば、≪証拠省略≫に記載されてあるように、一部記者の間では六、七月ごろには花蝶会食事件の情報をにぎっていたとあること、≪証拠省略≫にでてくる原告による自作自演説(付言すれば、確たる証拠がない以上、これにも論理の飛躍があり、単なる憶測の域を出ない)等を考慮に入れなくても、原告主張の東京地検内部説には真実ないし真実と信ずるについて相当の理由があったということはできない。

(三)  ところで被告河井は、本件記事係争部分の中で前記(一)で摘示した部分に引き続き、花蝶会食事件(昭和四三年四月一九日)当時の原告の心境について先に要約したように(第二、二)、原告が受領した三〇〇万円が捜査当局に知れていないかハラハラしていたであろうし、そんなときに検事総長と会えば捜査状況を聞き出そうという意図があったと思われても仕方なかろうと記述している。

ところで、これまでに検討してきた被告河井の反論は、すべて原告から仕掛けられた非難・攻撃に応えて事実無根を論じたものであるのに対し、右に要約した花蝶会食当時の原告の心境に関する記述は、むしろ被告河井の方から積極的に原告の心境を推理しこれに批判を加えているのである。このように単なる応酬以上のものである点において、原告からの非難・攻撃に対する反駁としては、その必要な限度をこえていることにはなるけれども、本件記事全体を通してみると、右の記述も検察権を擁護するための論述の一環にほかならないのであるから、右記述内容が真実であるかまたはこれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、名誉毀損は成立しないものというべきである。そして、右の真実性ないしは真実と信ずべき相当の理由の立証責任は、被告河井において負担しなければならない。

そして≪証拠省略≫には、原告は、原告が日通から受領した三〇〇万円は適法なものであって刑事訴追を受ける筋合のものではないとの強い自信を終始一貫堅持していること、前記昭和四三年四月一九日花蝶での会食は、前年(同四二年)井本検事総長が実現した後の一一月一四日、原告が同総長を招待して福田幹事長とともに同じ料亭花蝶で就任祝いの宴会をもったので、井本総長はその返礼をやりたいと思って原告の秘書鷲見を通じて日程の打ち合わせをして同四三年三月中旬ごろから四月上旬ごろの間に四月一九日に右返礼の宴会をもつことを決め、前記花蝶での原告、福田、井本の会食となったこと、そこでの会計四〇、九一〇円は井本総長が負担し、そこでの話題は原告の共産圏の話、政界の雑談等であったことなどの記載ないし供述が存し、ことに四月一九日花蝶会食の経過についてのこれら各証拠の信ぴょう性を否定し得るだけの証拠は、ほかに存しない。

しかし、さらに当時の状況を証拠によって検討すると、≪証拠省略≫によれば花蝶会食前の有力新聞が以下のとおり大々的な報道を続けていたことを認めることができる。

1 昭和四三年二月二一日付朝日新聞夕刊≪省略≫

2 同年三月一九日付読売新聞朝刊≪省略≫

3 同年四月八日付毎日新聞夕刊≪省略≫

4 同年同月九日付朝日新聞朝刊≪省略≫

5 同年同月一〇日付読売新聞夕刊≪省略≫

6 同年同月一一日付サンケイ新聞朝刊≪省略≫

7 同年同月一八日付東京新聞夕刊≪省略≫

≪証拠省略≫によれば、同年四月一八日日通事件の参考人として東京地検で事情を聴取されていた福島秀行(福島敏行の次男)が同地検庁舎の屋上から飛びおりて自殺したことを認めることができる。

右認定事実を前提とすれば、原告の心境についての被告河井の前記記述部分が仮りに真実ではないとしても、同被告において真実であると信ずるについては相当の理由があったものということができる。

尤も≪証拠省略≫によれば、昭和四三年四月一九日ごろ日通事件が政界に波及するなどということは赤間法相は予想していなかったこと、そのころは具体的に証拠に基づいて政界の誰が日通事件に関係があるか等は全く捜査線上に浮んでいなかったこと、≪証拠省略≫によれば東京地検は昭和四三年五月上旬(四日ごろ)に原告受領の三〇〇万円につき原告取調べの方針をだしたこと、≪証拠省略≫によれば、日通事件被告人の西村猛男について政治献金の実態についての取調べが開始されたのは同年四月二二日ごろであること、同じく福島敏行についてのそれは同月二四日ごろからで、五月一日ごろ同人は原告に対する三〇〇万円の供与を認めたこと、同じく池田幸人(元日通代表取締役)は四月二三日原告に対する供与の外形的事実を認めたこと等認定することができるが、これらをもってしても当裁判所の右認定を妨げるものではなく、他にそれを左右するに足りる証拠はない。

(四)  従って花蝶会食事件等の漏洩に関する本件記事係争部分のうち、前記(一)摘示の部分の執筆、掲載は、被告河井の名誉と検察権を擁護するため必要な限度を逸脱することなくなされたものであり、これに先行する原告の事実摘示は真実性の証明がなかったことに帰し、前記(三)摘示の部分の執筆掲載は、原告からの非難に対する応酬としてはその必要限度を逸脱するけれども、専ら検察権の擁護という公共の利益を図るための言論であり、被告河井においてそれが真実であると信ずるについては相当の理由があったものといえるから、花蝶会食漏洩問題についても原告主張の名誉毀損にもとづく不法行為は成立しない。

四  以上の理由により本件記事係争部分については名誉毀損にもとづく不法行為は成立しないから、右を理由とする原告の本訴請求は失当である。

第四侮辱にもとづく不法行為の成否

一  検察官が、その検察権の行使につき他からいわれのない非難を受けたときは、毅然とした態度をもってその非難が失当であることを論じ自己の立場を明らかにする必要のある場合の存することは、これを否定することはできない。本件もあたかも右の場合に該当し、前記第三においては、主として、原告の非難・攻撃が事実の裏付けを伴う理由のあるものかどうかという側面から、判断を加えたものである。

ところで、右の場合における検察官の意見表明ないしは事実説明は、あくまで国民を説得し理解を深めさせるとともに、検察官としての威信と社会的地位をそこなわない配慮のもとに行われなければならない。かかる見地に立脚して本件記事を通読するに、とくに本件記事部分においては、前記第三の一(一)、二(一)、三(一)で指摘したように、「卑怯未練なやり方」というのをはじめとして、語調が激しすぎたり表現に穏当を失する言葉の用いられているのが数か所存在する。そのほか「騒ぎ立てて」「痛くもない腹をさぐられる」「まことしやかに吹聴している」等の言葉も、右の見地からすると表現方法として問題はなくはない。ことに前記第一の二(一)で示した国会議員たる原告の地位を考慮した場合、これらの言葉は、少なくとも外形的には、原告の社会的評価を侵害する侮辱的な表現とみられること、すでに前記第二の二において説示したところである。しかしながら、不法行為としての侮辱が成立するかどうかは、単にこれら片言隻句を拾い上げてみただけでは足りないのであって、本件記事を通じてこれを総合的に考察すべきものであると同時に、本件のように原告の非難・攻撃が先行する場合には、その言動と対比して検討しなければならない。

二  以下、右のような観点から不法行為としての侮辱の成否を判断する。

(一)  被告河井は、原告からの事実の摘示を伴う非難・攻撃に対する反論として、その事実無根なることを明らかにするため本件記事を執筆するに至った。その動機・目的は同被告の名誉と検察権を擁護せんとしたものであり、事実面に関する反論としては、そのために必要な範囲を逸脱してはいなかった。これらの点は、すでに前記第一ないし第三において詳しく説示したとおりである。そして、本件記事全体を通じてみても、被告河井の論旨は、原告の摘示した事実に対する反論が主体であり、ほとんどこれに終始しているのであって、右一に拾い上げた数か所の侮辱的な表現は、全体の論述のなかにところどころ散見されるにすぎない。

そうすると、本件記事の主体たるべき事実面での反論が前示のように名誉毀損を構成しない以上、これら数か所の表現だけをことさら取り出して侮辱にもとづく不法行為と断定するのは、かなり困難である。

(二)  のみならず、本件記事に先行する原告の非難・攻撃は、数か月以前からされており、ことに花蝶会食事件漏洩後の一か月間は、原告から取材した新聞・週刊誌等の記事が前後十数回にわたって繰り返し報道された。そのほとんどは、具体的事実を摘示しながら、検察庁には今なお不明朗な派閥があり、原告は、これを正すために井本検事総長就任を実現させたのであるが、その恨みを受けて、被告河井の属する東京地検当局から、事実を曲げて公訴を提起され、花蝶会食問題まで暴露されてしまった、というのである。以上は、前記第一の三、四において説示したとおりである。これらは、厳正なるべき検察権行使や検察人事につき国民に疑惑を抱かしめるきわめて重大な事柄であり、検察庁に職を奉じまた右記事のなかで直接名指しを受けた被告河井として、これに反論するに当たり語調が多少激しくなるのも無理からぬところがある。

三、このように彼此比較検討してみると、本件記事部分には、その表現において多少穏当を欠き激越にわたる個所がないではないが、不法行為としての侮辱を成立せしめるに至る違法なものとは到底いいがたい。従って、侮辱にもとづく不法行為も成立しないから、右を理由とする原告の本訴請求もまた失当である。

第五結論

当裁判所の事実上および法律上の判断は以上のとおりである(右事実上の判断を動かすべき的確な証拠は、以上に検討したほかには存在しない)。したがって、原告の被告らに対する本訴各請求は、その余の判断をするまでもなく失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 賀集唱 裁判官 竹田稔 裁判官蓑田孝行は、転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官 賀集唱)

〈以下省略〉

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